情緒的動機の解説を進める前に、まずは情緒という言葉について考えて行きたいと思います。情緒は「じょうしょ」と読んだり「じょうちょ」と読んだりしますが、「じょうちょ」という読み方は「じょうしょ」の慣用読みとされています。そして情緒とは「情動」と同意語で、情動とは急速且つ一時的に引き起こされる、呼吸や脈拍、顔色に生理的変化が伴う意識状態のことを言います(心理学用語)。つまり楽しいと笑うという生理変化が起こり、悲しいと泣くという生理変化が起こります。これらの感情的生理現象のことを、情緒と言います。
野球をしていて「楽しい」などの笑顔になれる快の情緒は、野球が自分にプラスを生じさせてくれると判断された時に現れ、接近動機(野球をしたいという理由となる動機)として働きます。逆に「辛い」「苦しい」「きつい」など不快の情緒は、回避動機(野球をやめたいという理由となる動機)として働いてしまいます。指導者は常に、快の要素よりも不快の要素の方が多いということを常に頭に入れておかなければいけません。
野球はもちろんのこと他スポーツ、勉強であっても、それらを好きになるか嫌いになるかは後天的経験によって大きく左右されます。例えば小学生の子どもに父親が自分の夢を託し、必要以上に厳しく指導をしてしまうとそれは「辛い」という不快感情を引き起こし、強い回避動機となってしまうことがあります。逆に野球を始めたばかりの子どもに、どんなに遅いボールでも「ナイスボール!」と声をかけてあげると、それが「楽しい」という快感情につながり、野球への接近動機となっていくのです。
僕は、本当に厳しい練習を始めるのは中学生後半からで十分だと考えています。小学生や中学1年生くらいまでは、とにかく野球を好きになれるような指導が必要です。その中で将来に役立つ基本をしっかりと教えていく、これが大切です。中学1年生くらいまでに本当に野球が大好きであるという状態でなければ、2~3年生になり、高校に入って厳しい練習が始まれば、気持ち的に付いて行けなくなってしまいます。厳しい練習に心を折られないためには、野球(もしくはチームメイト)が大好きである必要があるわけです。
指導者は選手に対し、特に子どもに対しては各選手の情緒的動機をしっかりと見極めていく必要があります。例えばチームの仲間と一緒に野球をするのが楽しいからか、練習するほど上手くなることに楽しさを感じているのか、試合に勝てるから野球が楽しいのか。指導者はそれらの選手個々の情緒的動機を見極め、さらにはその動機を満足させてあげるための工夫が必要です。
野球が楽しくなればなるほど、回避動機の大きさが変わらなくても、接近動機が大きくなることで相対的に回避動機の存在は目立たなくなっていきます。不幸な形で野球をやめていく子どもたちが1人でも減るように、指導者であればそこまで選手に対し気を配る必要があります。もちろん指導者も人間ですから、完璧にこなすことはできません。しかし大切なことは、選手が「監督は僕らのことを本気で考えてくれている」と感じてくれるかどうかです。それが選手に対ししっかりと伝わるようになれば、情緒的動機は本当に強い接近動機として野球に対し働くようになります。