大人のエゴで坊主にさせられる高校球児たち
ダルビッシュ有投手がテレビのインタビューで、高校野球の坊主頭は明らかに時代錯誤な慣習である、というような旨の発言をされたようですが、これには僕も大賛成です。
高校野球の坊主頭は「見ていて清潔感がある」「溌剌として見える」という理由でほとんどの高校で続けられていますが、これは明らかに大人たちのエゴです。高校野球の主役は球児たちなのに、未だに大人のエゴによって高校生たちの青春時代が左右されてしまっています。
ちなみに普段は坊主頭、もしくは短髪のプロ野球選手でも、結婚式のために髪を伸ばす選手が多いのをご存知でしょうか?やっぱり皆さん坊主頭の写真を後世に残したくはないのだと思います。でも高校球児たちが卒業写真で坊主頭を避けることはほぼできません。
高校生と言えば最も多感な世代です。異性を意識することだって増えます。異性に好かれたいと思った時、やはり坊主頭よりは、他の部の生徒のように普通の格好良い髪型をしていた方がモテることもあるでしょう。
僕自身は高校の入学式の前日、練習生として野球部の練習に参加した時に野球肩で腕が突然上がらなくなってしまい、野球部に入ることはできませんでしたので、坊主経験はありません。
ですが野球部に入ったら坊主頭にする予定で、それが本当に嫌だったのを今でもよく覚えています。
時代の流れに付いていけていない高校野球
野球人口が年々減っていることがよくニュースになっていますが、当然だと思います。坊主にさせられるし、肩や肘、腰を痛める選手も多いですし、ミスをしたらすぐに怒鳴られるし。よほど野球を愛している子じゃない限りは、高校に入って坊主にしてまで野球を続けるという選択はしないでしょう。
そもそも球児たちに坊主を強いるのであれば、その高校の野球部関係者の先生方も全員坊主にすべきです。しかし野球は髪型でやるものではありません。僕個人としては、どんな髪型でも構わないと思いますし、髪型はアイデンティティを主張する重要な要素だとも思っています。
故野村克也監督が聞いたら怒ってしまいそうなことを言っていますが、しかしもう軍隊式のやり方は通用しない時代になっています。
ちなみに軍隊式というのは元々は軍隊で生まれたやり方ではなく、僧院で生まれたやり方でした。僧院では修行僧たちが坊主にされ、先輩僧たちの厳しすぎる修行に耐え、時には暴力もまかり通り、最終的には自我を失うまで厳し、上の者に従う人格を作り上げていきます。このやり方を取り入れたのが大日本帝国時代の軍隊だったわけです。
つまり未だに坊主の強制や暴力が使われている高校野球という世界は、江戸時代以前の僧院の指導法を続けているというわけなのです。昭和どころか、江戸時代です!本当に時代覚悟もいいところです。
甲子園は未だに女人禁制
日本の高校野球は世界からは冷たい視線を浴びています。夏の甲子園など、アメリカでは虐待という言葉を使われて報道されることもあるほどです。炎天下の元でやらされる過酷な試合、確かに一歩間違えば命に関わります。
ちなみに甲子園のグラウンドは、どんなに野球が上手でも女子選手が立つことは許されません。未だに女人禁制というのも、ジェンダーフリーが叫ばれる現代では時代遅れ過ぎです。
高校野球がこのまま時代錯誤なことを続ける限り、野球人口は今後も減る一方になるでしょう。そして重要なのは野球人口の絶対数が減っているという点を見るのではなく、全人口に対しての野球人口の割合が減っているという点に注目をすることです。
少子化が進んでいるから野球人口も減っている、という見方は短絡的です。野球人口を考えるのであれば、全人口に対しての何%、もしくはそれぞれの世代人口に対しての何%なのか、という数字を見ていく必要があります。この数字を見れば、少子化が進んでいなかったとしても、野球人口が減っていることがわかるはずです。しかし日本の各野球連盟でその数字を把握した上で発言されている会長はどれほどいらっしゃるのでしょうか?気になるところですね。