第二次世界大戦中、日本もアメリカもプロ野球選手たちの多くが兵士として戦争に駆り出されました。日本で言えば沢村賞として名が残る沢村栄治投手も戦地に赴き、ピッチャーだからという理由で手榴弾を投げ続けさせられ肩を壊し、以降ピッチャーとしてかつての球速を取り戻せないまま再び赴いた戦地で戦死しました。27歳という若さでした。
日本球界が沢村栄治というスター選手を失った頃、アメリカ球界ではナックルボールという新球を得ていました。アメリカ軍も戦地ではプロ野球選手たちに手榴弾を投げ続けさせたのですが、アメリカの場合、その手榴弾の大きさや重さを野球のボールに近づけるという工夫をしていました。
ですが形をまん丸にしたことで爆発しやすくなったようで、選手たちは野球のように豪速球を投げられず、手榴弾にあまり刺激を与えずに投げなければ自爆してしまう危険性もあったそうです。手榴弾をなるべく回転させることなく投げる方法を試行錯誤しながら見つけられたのがナックルボールの握り方でした。これにより手榴弾をほとんど回転させずに投げられるようになり、投げた直後に自分たちの近くで爆発することもなくなったそうです。
これがナックルボールが誕生した瞬間でした。戦後、選手たちは早速野球場で手榴弾を投げた時の握りでボールを投げ始めました。すると投げた本人にも予測できない曲がり方をし、キャッチャーでさえ捕球できない魔球となりました。そのためメジャーリーグでは今もナックルボーラーが投げる際は、ファーストミットのように幅の広いキャッチャーミットを使っています。
さて、ナックルボールを上手く投げるコツは、あまり山なりでは投げないということです。山なりに投げてしまうと進行方向に対する空気抵抗が小さくなってしまい、ボールが揺れなくなり、ただのスローボールになってしまいます。
もちろん球速が出ない分多少は山なりに投げないとキャッチャーまで届かないわけですが、この山なりを水平に近づけられるほど、ナックルボールは不自然に揺れるようになり、バッターがジャストミートできるかは運次第という魔球になります。
ですので球速を出せない投手がナックルボーラーになるよりは、本来は速いボールを投げられる投手がナックルボーラーになった方が、より打ちにくいナックルボールを投げられるようになります。ウェイクフィールド投手が投げていたナックルボールも、山なりになっていないから打ちにくかったわけですね。
戦争という悲しい過去が生み出したナックルボールではありますが、ピッチャーにとってはこのボールだけでも高額年俸を得られる魔球へと進化を続けています。日本のプロ野球ではナックルボーラーはほとんどいなくなってしまいましたが、メジャーリーグではまだサイ・ヤング賞投手がナックルボーラーとして活躍を続けています。
ナックルボールは肩肘への負荷が非常に小さいため、投手としての選手寿命も延びやすくなります。例えばディッキー投手は今年42歳で2桁勝利を挙げ、ウェイクフィールド投手も45歳まで現役を続けました。ライト投手は33歳ですが、これからあと何年投げ続けられるのか、今からとても楽しみですね!